事業家は自分で仕事を創らねばならない。その仕事は利潤を生むものでなければならず、仕事を完遂して初めて成果を得る。
サラリーマンは仕事を創る必要はない。仕事を完遂しなければならないのは事業家と同じだが、仕事を創る責任がない以上、仕事を完遂した後の成果が利潤を生むかどうかは求められていない。なぜなら仕事は与えられたものだからである。ただし、与えられた仕事が全体を通して利潤を生まなければ、それは雇用者(事業家)の責任である。
事業家のみで完結するよりも、能力がないものに対する教育と分業が図れるという意味で事業家とその従属者であるサラリーマンの共同体のほうがより崇高だが、あくまでその事業体が利潤を生み、かつ社会にとっての付加価値を生むといった健全状態であればという条件がつく。これらの健全状態にない場合は、従属者であるサラリーマンにとっては悲惨な状況であり、いずれ滅びる運命にあるのだから主君を替えるか、力があれば下剋上を果たすといった行動を取るべきである。
サラリーマンは非力である。ほとんどのものはサラリーマンであり、現在の事業家もサラリーマンから出発したものが大半なのでサラリーマンを否定できないが、どうにかしてこの状態から脱却しようと考えるのは自然なことである。ちなみに、定年というのは年齢により強制的にサラリーマンをはく奪されたと考えてもいいかもしれない。







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